人間関係を良くする方法や目標達成の方法、悩みの解決など、人生の指針となるエッセンスを綴っています。

〓自分自身でつくってしまう心理的ダメージ〓



自分自身でつくってしまう心理的ダメージについて。

私達の心のダメージは他人から受けるものよりも自分自身で負ってしまうものの方が多いです。

多くの人は自責の念、自己不振、罪悪感などによって自分自身を過酷にさいなんでいます。

いずれも過去の内面への執着であって、
過ぎてしまった誤りを修正し、もう一度過去に生きようと試みているのです。

私達の心は、常に現在形です。
過去に生きることはできません。
心理的に過去に対してやり直しなどはできません。
忘れ去ることだけが唯一の積極的な行為です。
いずれにせよ、目標に向かうコースを外れて過去に戻る姿勢は必要ありません。

重要なのは突き進むべき方向であり、現在の目標です。
そのためにはまず、自分の誤りを事実として認識する必要があります。
それができない限り正しいコースは選択できず、操縦も誘導も不可能です。
一方で、自分の誤りゆえに自分自身を憎んだり責めたりすることは無意味です。
自分自身の誤りや他人の誤りについて考える場合、
その誤りによって生じた結果よりも誤りの原因は何によるものか、
あるいは何が欠けていた結果なのかを考えるほうが有益です。

私達の犯す最大の誤りの一つは、
自分の行動と自分とを同一視してしまうことです。

つまり、
「私はある行為をしたから、そのような人間である」
というように行動によって自分をある特定の種類の人間だと決めつけてしまうのです。

何か誤りを犯した時、
「私は失敗した」
と言えば失敗はひとつの行為の結果にしか過ぎません。
ところが、
「私は失敗者である」
と表現すれば、自分と誤りは一体化され、
自分は失敗型のパーソナリティを持つ人間であると言っていることになってしまいます。

この考え方は誤りを自分の中に固定化させ永久化させることが臨床心理学の実験でも証明されています。

歩き始めた幼児は足元が不安定でよく転ぶものです。
私達はその光景を見て、子供が転んだとか、つまずいたとかは言っても、
いつも転ぶ子供だとか、いつもつまずく子供だとかは言わないはずです。

ところが、たいていの親は、子供が片言の言葉を覚えはじめると、
「この子は口ごもる」
とか、
「単語を反復するだけ」
だとか
「言葉が出てこない」
といった普通の子供であればあたり前のことが不安になり、
この子は言語障害だなどと結論付け不必要な心配をしてしまいます。

このような態度や判断は子供そのものに向けられてしまうため、
それを知った子供は自分には口ごもるクセがあると信じこんでしまい、
それによってうまく喋れなくなってしまうのです。


悪習感を治すには、自分を責めたり、非難したり、後悔することをやめることです。

「私はダメだ」とか、「私は価値がない」というような自己判断が特に悪影響を及ぼします。

少しばかりの心理的ダメージを恐れて、クリエイティブに生きることを捨ててはいけません。

クリエイティブに生きようとする意識は心理的なダメージを防ぎ、また取り除く為の決定的な原則となります。

他人を信頼し、愛し、心のコミニュケーションを持つことは、思わぬ心のダメージを受ける危険を伴う場合もあります。

ですから、現代の人間にはより強靭な心の皮膚が必要なのです。

心理的なダメージを被った時、私達が取る対処法が2つあります。


ひとつは、牡蠣のように硬いからに閉じこもる方法。
すなわち、傷の回復組織を作り自己防衛に徹することです。

もう一つは、傷付けられるがまま、なおもクリエイティブに生き続けることです。

硬い殻に覆われた牡蠣は傷つけられることがありません。

外界とのコミニュケーションによる傷を知らないのです。
牡蠣は殻によって守られ安全を保つことができます。

しかし、常に孤立しクリエイティブではありません。

彼らはただ、何かがやってくるのを防ぐだけであって、自分から何かを追い求めることはできないのです。

傷の苦しみは知らずにすむものの、喜びを味わうこともまた無いでしょう。


若々しい態度と精神によって、顔と心の小じわが消え、目に輝きが戻り、未来に対する大きな希望が満ちてきます。

傷あとから身を守ろうとする否定的な緊張を解きほぐし、過去の傷跡を除去する為の治療的な許し、決して牡蠣の殻のように硬いものではなく、弾力のある強い心の皮膚を手に入れようとする意識。
少しばかりの傷を怖がらずクリエイティブな生活を送ろうとする気持ち。
過去への執着を捨て、未来へ目を向け突き進む積極性。
これらの実践が幸福を手に入れる鍵となっているのです。




長文読んでいただき感謝します。







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〓過去の怨み、敵意などを無くすには〓


過去に形成されてしまった心理的な傷跡はどうすればいいのでしょうか?

過去の傷み、怨み、人生に対する不満、敵意などです。

形作られてしまった心理的な傷跡を除去する唯一の方法は、自分自身変えることです。

古い心理的な傷跡はその場限りの治療や薬だけでは治りません。
完全に除去し根絶しなければすぐにまた表に出てきます。
それにもかかわらず、多くの人は一時おさえの薬でごまかそうとするのです。

例えば、浮気の例です。
夫の浮気が発覚した時、妻は夫を憎み、悔しがりました。
しかし、その妻は夫を許すことにしました。

妻は、今までどおり家庭を守り、おいしい食事を用意し、夫の帰りを待ち、表面的には忠実な良き妻を装いました。

しかし、実際には、道徳的に許しがたい夫をあえて許してやったのだという冷ややかな態度で接し、夫を地獄に陥れたのです。

夫が何か不満をいうと、決まって妻は、
「私はあなたを許してあげました。でも、忘れたわけではありませんよ。
と答えたのです。

解決したかのように見えたこの夫婦間の問題も、鎮痛剤で一時的に傷みを抑えたようなものであり、薬の効果がきれてくれば再び傷跡の傷みは蘇って来るのです。

妻は、自分の気持ちに正直になるべきでした。
浮気を許すことができないのであれば、夫の元を去り、距離と時間をおいてお互いの気持ちを考えていたなら二人にとってもっと良い結果があったのではないでしょうか。

このように、一時的な感情のごまかしは、根本的な解決には繋がりません。

解決のためには、古い傷跡との関係を完全に断ち切らないとなりません。

今話した、夫の浮気を許した妻の例では、

「私はあなたを許してあげました。でも忘れたわけではありませんよ。」
という言葉は、
「私は、あなたを許しません」
といっているようなものです。

本当に許すとうことは、支払い済みの手形のようなものです。

2つに裂き、燃やしてしまう。
だから、2度と人に見せることはできません。

純粋に心から許すということは、
古い心理的な傷跡を治癒し、忘れさせ除去してくれます。

しかし、中途半端で煮え切らない許し方、
つまり見せかけの許しは、一種の義務的な行為にしかすぎず、
傷跡を除去する手助けにはなりません。

本当の意味で、誤りを許すということは、
誤りを許すと同時に、許したことさえも忘れ去ることなのです。

いつまでも許したことを記憶し、それについて考えていると、
塞いでしまいたい傷口を再び、開かせてしまうことになります。

他人を許したことを変に誇りに思ったり、
いつまでも覚えていたりすると、
許した相手に対して感謝を欲しがるような気持ちになりがちです。

負債を許して上げることによって、別の借財を背負わせてしまうことになるのです。

許すということは、心理的な傷に対する有効な治療手段です。

ただ、一つ難しい点があります。

それは、怨みや、非難の気持ちを持たず、ひたすら許さなければならないということです。

つまり、相手に対して自分の中で精神的な貸しを作らずに許すということです。

相手を非難する気持ちを捨てない限り、おそらく許すことにはためらいがつきまとうでしょう。

他人の誤りを見つけ、非難することで優越感が手に入るからです。

他人の誤りから受けた自分の傷を大切にすることによって、喜びが得られるというわけです。

自分を不幸だと思い込むことで味わえるイビツな満足感は、だれにでも覚えがあるのではないでしょうか?

相手に負債を残さない許し方だけが、治療効果をもたらします。

しかし、それは寛大さや恩義による許しでも、道徳的な優越感を背景とする許しでもありません。

相手の負債を帳消しにし、はじめから無かったことにするのは、
相手の支払いが済んだからではなく、負債そのものが正当なものではないと認識できたからです。

真の許しとは、許すべきもの自体が存在しないということを理解し、
心理的に受け入れることができた時にのみ生まれるものです。






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