人間関係を良くする方法や目標達成の方法、悩みの解決など、人生の指針となるエッセンスを綴っています。

〓色を染めると求めるものが見えてくる〓




アメーバやウイルスはほとんど透明です。

したがって、性能の良い顕微鏡で覗いても、そのままでは見えません。

そこで、これらに色をつけるわけです。

染色された微生物や、細胞は、色を付けることではっきりと姿を表します。
研究者が顕微鏡を覗く目的は、これで達成されます。

同様に、何か願望を達成しようとするなら、
その願望は明瞭になっていなければなりません。

大昔、人類の先祖は言葉と言えるほどのものは、
ほとんど持っていませんでした。

ここに仮にニビルさんというごく初期の原始人がいて、
歩いている途中で、丸々と太っている生き物に初めて出会ったとしましょう。

ニビルは、「これはこれは凄いごちそう」だとは思わなかったハズです。
言葉がまだできていないのですから。

一説によると、その当時の人間の思考といういうものは、
一種の啓示のごとく、外部から入ってくるようにその人間には思えたはずだといわれています。

それはさておき、本能的に凄いごちそうということはわかります。

しかし、どうも一人では捕まえられそうにありません。
そこで、ニビルは、集落に戻って、助けを求めるわけですが、
ニビルは、原始人なので、
その丸々と太った生き物を表現する手段がありません。
ジェスチャーくらいはやったでしょうが、
他の人がその仕草を理解するまでに、
目標はどこかへ立ち去ってしまってるかもしれません。

このように、「獲得すべき目標物」に対する不明瞭さは、
得られるものでも取り逃がしてしまうことになります。

願望や目標も、まずそれらを概念化することによって、
しっかりと把握することができます。

願望を明瞭かつ鮮明に立てることは、
「自分の将来のある一時点の概念化」です。

概念化によって、初めてこれから獲得すべきものを今の時点でつかむことができるのです。

新約聖書の中でイエスが語っている有名な言葉

「あなたが欲しいと思うものはなんでも、すでに得たと思いなさい。そうすればそのとおりになるだろう。」

は、このことをいっているのです。

このような方法がどのような効果を生むのでしょうか?


Bさんは人々を集め、
「私は両手だけでこのバットを簡単におることができます。」
と宣言します。

人々は「そんな馬鹿な!」と思うでしょう。

ちゃんとした木製のバットです。

余程の怪力の持ち主でなければ無理です。

ところがBさんは、満身の力を込めて、
本当にバットを中央から折ってしまいます。
人々は驚きました。

しかし、種を明かせば、バットは予め折ってあり、
再び元のとおりにしておいただけなのです。

願望、目標の実現も同じです。
大脳の中で、前もって成功させておく。
そうすれば、実際にも成功します。





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〓ヴァーチャル思考〓


ヴァーチャル思考とは、
自分とは別に、自分に影響を及ぼす何かが、
実際に機能するものと確信することに対して生じる感覚のことです。

その感覚を意識でしっかり受け止め、
それを自分の人生に活かそうとするとき、
ヴァーチャル効果が生じます。

この時、働く心理的メカニズムは
「脳は強く心に想像したことと、現実とを区別できない」という事実です。

したがって、ヴァーチャルシステムは実際にはどうであれ当人にとっては、
実際に存在するものなのです。

自分という実在するものの他に、もう一つ仮想の自分、
すなわち「仮想の自分」というものを想定してみましょう。

何も、難しいことではありません。
例えは、法律上の概念に「代理権」というものがあります。

この概念のお陰で、人間は、その人の本来もてる以上の力を発揮できるようになりました。

「私は、どうも交渉が苦手だから、私の代わりに、相手を交渉をしてきてくれ」と他人に代理権を授与すると、
法律はこの授与行為に力を与えてくれるようになっています。

普通、委任状があれば、
相手は代理人をあなたとみなして交渉を進めていきます。

そして、代理人の行為はあなたの行為とみなされます。

このようにして、大きな交渉がまとまれば、
それはあなたがまとめた交渉ということになるのです。

まさに、あなたの能力の拡大です。

「ヴァーチャル思考」も似たようなものです。
例えば、あなたはまず、「万能な自分」とういヴァーチャルシステムを作らなければなりません。

それには、あなた自身のヴァーチャル思考をふくらませることです。

もっとも簡単な方法は、
もし、あなたが大実業家になるという願望を持っているならば、
実在する(もしくは実在していた)大実業家の生活態様から行動、話し方など、
何からなにまで、マネをするという方法があります。

これは、実際にこれまで多くの実業家がそうやって成功を手に入れてることからも証明されています。

「生活態様をマネるといっても、相手は豪邸住まい、こちらは安アパート」と思うなかれ。
アパートは豪邸ではありませんが、「仮想豪邸」とみなすことはいたって簡単です。

この例の場合、ヴァーチャルシステムとは、
マネする相手の大実業家その人となりを指すことになります。

人生を充実したものにするために、ヴァーチャル思考は是非みにつけたいものです。





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〓常識の最たるもの〓



現在、自動車は、恐るべきスピードで多量生産されていますが、
これは習慣的常識から脱出した一人の人間のおかげです。

その人間とは、発明家のチャールズ・ケタリングです。

当時は、ゼネラルモータース社で、車一台を塗装するのに、
なんと17日間も費やしていました。

今から考えると随分とのんびりした話ですが、
そのころは全く普通のこととして考えられていたのです。

だから、ケタリングが、
仲間の研究者グループに一時間の塗装を提案したときは笑いものにされたくらいです。

しかし、そのたった三ヶ月後に、
ケタリングは、一時間の塗装を実現してしまいました。



何事かを成し遂げる人間は、必ず常識の格子の外にいる人間です。


とはいっても、不常識人間になることを勧めてるわけではありません。

常識を超えよ。ということです。


さて、ここで、問題です。







常識の最たるものは何でしょう?










答えは、「自分の年齢」です。



この年令に縛られてる限り、
自由な精神ももてないでしょうし、
発想も行動も常識を超えられないでしょう。

当然、ビッグサクセスも遠い存在になります。

よく、ビッグな経営者の対談や座談会で70才を超えた経営者や政治家が、
「私はまだ20代だからね。」と話の合間にいってくる事があります。


そこで一同は、にこやかに笑うのが常ですから、
いかにも茶目っ気のある冗談ととられがちですが、
本人にしてみれば、本気なのです。


ソニーのウォークマンにしても、
盛田氏の、「これはいける」という発想と決断がなければ、
日の目を見なかったに違いありません。


精神が若返れば、恋も過去のものではありません。

ゲーテは、73才にして、19才の女性に求婚をしました。

チャンスに年齢制限はないのです。



年齢制限を設けているのは。自分の常識なのです。


「自分は〇〇才です。だから・・・。」などどいう考え方はも終わりにしましょう。






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〓あきらめは、人生に対する最大の甘え〓


「人生はやり直しがきかない」

人は生きているうちにこの、言葉を必ず耳にします。

その時、いささかの動揺も見せない人はどれだけいるでしょうか?

といえば、たくさんいそうですが、実はそうでもないのです。
つまり、ピンとこないのです。

それも都会の喧騒の中ではやむを得ないことなのです。

が、心が少しばかり内面に向いた時、
人はこの言葉に、昔、船の上から帽子を飛ばしてしまったときのような、
あの言いようのない後悔の念にしばしとらわれるものです。


「人生にやり直しがきかない」

よくよく考えれば、むごい言葉ですね。

が、この酷い言葉も世代とその環境によって受け取り方が違います。

10代前半の少年少女は、
この言葉におそらく無抵抗か肯定的な態度を見せるでしょう。
そして、一層受験に励み、効率の良い成功に向かって走ります。
彼らにとって、「人生」とは、
まだ、テストの点数や偏差値で表されているようなものにすぎないのです。

20代の女性は、この言葉から、結婚を考えるかもしれません。
夢想の中の結婚ではなく、現実の結婚。
しかし、だからこそ結婚はまだ当分やめておこうと考える女性も多くなって来ました。
結婚は、やり直しがきかないわけではありませんが、
我が国の民法では、「結婚を継承し難い相当の理由がないかぎり、司法権の名のもとに現状維持を強制されます。
主体性に目覚めた女性にとって、これはこくなことかもしれません。

ところで30代になり、40に手が届きそうな男性たちは、
この言葉が辛くなります。

真剣に悔いることが出てきます。
もっと勉強しておけば良かった。
なぜ資格をとっておかなかったのか。
会社の選択を間違ったのではないか。
出生しても、部課長どまりの人生をこのまま続けていいのか。
などなど。

そういった悩みは深刻ではありますが、
その後悔自体の中に、解決策の一端がすでに現れています。

すなわち、不勉強を悔いるなら、勉強を始めればいいのだし、
資格の取得が必要なら取ればいい。
いずれにせよ、
もう遅いと考えて放棄するのは自分に対する甘えでしかありません。


「あきらめは、人生に対する最大の甘え」です。


就職を間違ったのであれば、転職すればすむことです。
実際、そうして自立した30代は多いです。

が、全体から見ればたかがしれてます。

ところが40代になると、様々な面で不自由になっていきます。
資格取得や、転職に年齢制限があるからです。
同時に、仕事も忙しくなってきており、頭も固くなりつつあります。

彼らにとって、「人生にやり直しがきかない」
という言葉は、とても重いのです。

肯定もできないし、否定もできない状態になっています。

行く先は、穴ぼこだらけのじゃり道。
疲労も感じています。
自分ばかりのことだけではありません。
子どもの進学、家族的な単位での将来の安定性。
後戻りはできません。
賭けるものは手の内のものしかありません。

しかし、その彼らの手の内にはいったい何があるというのでしょうか。

本当に人生はやり直しがきかないものでしょうか?
年を重ねれば重ねるほど、やり直しはきかなくなり、
道は狭まる一方なのでしょうか?
人生とは頂点に登るものではなく、下降するものでしょうか?


この問いに、誰かが弱々しくYESと答え、
誰かが、最後の気力を振り絞ってNOと答えるでしょうか。

いまいち度自分に問うことが必要かも知れません。

「自分のこれまでの人生は取り返しがつかないものなのか」と。



私はこう答えます。






「人生は、いつからだってやり直しがきく」と。






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