人間関係を良くする方法や目標達成の方法、悩みの解決など、人生の指針となるエッセンスを綴っています。

今回は、ギャンブルについての話です。

形成外科医でもある私の友人が初めてカジノに遊びに行った時の話です。

その日、彼のテーブルに集まった人皆に応援されながら、彼が無我夢中のうちにゲームは終わっていました。

そして、彼はその晩なんと日本円で300万円も儲けたのです。

その夜、彼は興奮して、なかなか寝付かれなかったのか、私を呼出し、色々と話し始めました。

少し冷静になって、突然あることがひらめいたらしいのです。

ちょうどその日の朝、彼は左眉の上に酷くひきつれた傷のある5歳の少女の手術をしたばかりでした。

少女の父親に手術費用が払えないことは周知でしたが、彼の責任で手術をしたのです。

その夜、カジノで元締めの助手をしていたのは確か少女の父親で、彼は少女の父親とお互いに目で挨拶を交わしました。

そして、夜になって彼は私に、

「考えてみると、もしかして少女の父親が何か細工をして私を勝たせたのではないか?」

と思ったのです。

「あれは正当なゲームだった。 そう、何度自分に言い聞かせても、どうもカジノの幸運に少女の父親が関わっているような気がしてならない。」

と彼は私に言いました。

そして、朝方まで色々と話しているうちに、

「きっと、彼が心からの声援を送ってくれたから、あんなに上手く行ったんだ。」

と彼は思うようになりました。

賭け事に確実というのはあり得ません。

それでも人はギャンブルをするものです。

でも、賭け事で確実な絶対に負けない方法を一つだけお教えしましょう。

それは自分の儲けのために賭けないことです。

ギャンブルをしたいのなら誰かの愛に賭けてごらんなさい。

大人でも子供でもいいですから、この人と思った相手に、ゆるぎない信頼をかけてごらんなさい。

限りない愛情を捧げ尽くしてごらんなさい。

仮にあなたの欠けたものが手に入らなくても、人に自分を捧げ与えるということは、あなたやあなたの周囲の人にとって大きな勇気と励みになるに違いありません。

このギャンブルで、あなたが負けることは絶対にありません。

失うどころか、あなたはいつも勝者なのです。



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この世には、なたと全く同じ顔をした人間がいないように、同じ手を持った人も一人もいません。

手というものは、私たち自身を素直に表すものです。

と言っても、私は手相のことを言っているわけではありません。

手相くらいで人の性格や人生を決めつけてしまうなんて、花や頭の形を見ただけで、その人の全てをわかったつもりになるのと同じくらい馬鹿げたことです。

私が言っているのは、手にも表情があって、それは持ち主の感情をよく表すものだということです。

例えば、緊張している時は大抵、手を固く握りしめるものですし、リラックスしているときは手のひらもガラリとくつろいでいる感じです。

また、手は耳の不自由な人にとっては、会話のための伝達手段ですし、以前の株の取引上では指を使ってやりとりが行われていました。

選挙に当選した候補者が V サインを作って勝利を表すように、指はシンボルそのものにもなるのです。

私の友人が、パナマの病院に勤務していた頃のお話ですが、自分の右手をいつも恥ずかしそうにポケットに隠している少年がいたそうです。

彼は生まれつき人差し指と中指がくっついていて、実はさほど珍しい障害ではないのですが、本人は非常に気にしていたそうです。

彼は、他の子供達に馬鹿にされながらも、いつも野球をする子供達を羨ましそうに眺めていたそうです。

「どうして指の手術をしたいの?」と友人が尋ねると、

「野球をやりたいから」

と答えたそうです。

彼にとって、正常の指を手に入れて他の子供たちと一緒に野球をするということが、ひとりぼっちの寂しさから抜け出す唯一の希望だったのです。

手術後一週間ほどして、友人がコスタリカの病院へ出発する日、少年の包帯が取れたようです。

「見てごらん、指はきちんと離れたよ」

と言うと少年は、最初怖がっている様子でしたが、やがてゆっくりと指を動かしました。

そして、生まれて初めての V サインを作り、「やったね!」と嬉しそうに叫んだそうです。

つまり、手や指というのは大きさも形も違いますが、良くも悪くも私たちの心を表すものだと思うのです。

あなたの手は、怒りで握りこぶしを作っていますか?

それとも、ゆったりとくつろいでいるでしょうか。

あなたの手が示すものは、恐怖感や憎しみですか?

それとも、心安らぐ愛や自信でしょうか。

他人に対して優しさや思いやりを示せるように、いつも両手を広げていましょう。

失敗にくよくよするのではなく、毎日を「やったね!」と叫べるように朗らかに V サインを作りましょう。

「人には何らかの能力があるものだ」

モンテーニュの言葉です。




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今回は「優越感」についてです。

以前、テレビのトークショーにある映画監督が出演していました。

テレビに映る彼は、まるで司会者を最初からバカにしたような傲慢な態度でした。

世間を見下したような、その横柄な受け答えを見ていて、私は嫌気がさしてしまいました。

さて、実際に彼は自分で思っているほど優れた人物なのでしょうか?

私はそうは思いませんでした。

高飛車な態度や傲慢さ、短気といった彼の性格は、人を傷つける憎しみの変形であり、本当に優れた人物にそのような性質が備わっているはずはないのです。

むしろ、自分に自信がなく、劣等感に苛まれている人間がそんな不安感を隠すために身につける隠れ蓑と言ってもいいでしょう。

ある日、私は協会に行ったのですが、その時牧師さんと話す機会がありました。

若いイタリア系のその牧師さんは、どことなく心がホッと安らぐような優しい微笑みを浮かべながら「古ぼけた協会でお恥ずかしいです」と、そっと私に囁きました。

もちろん、それは卑屈が愚痴などではなく、心温まる謙虚さ以外の何者でもありませんでした。 人は謙虚であることの価値を知り、初めて人間として成熟したと言えるのではないでしょうか?

謙虚であることと、弱さとは全く別の問題です。

もちろん、能力が欠けていることとも無縁です。

謙虚さとは、むしろ自分の能力をひけらかしたり、他人と比較して得意になったり、成功を鼻にかけたりするのではなく、自分や他人の長所を正当に認め、理解してあげられる心の余裕と強さなのです。

そして、それは傲慢さとは全く違います。

人を見下すことで自尊心を保っている人は、得てして自分を神のように思い込みたがるようですが、とんでもない彼らは神どころか悪魔の側についているのです。

優越感の第一の弊害は、人間が向上するのに必要不可欠な失敗というものを、自分にもまた他人にも許せなくなることです。

謙虚さこそが、人間の向上にとっての条件であり、また成熟と幸福への道標でもあるのです。

謙虚であってこそ、初めて人は本当の意味での優れた人物になれるのです。

他の人にとってではなく、自分自身にとって大切で価値のある人間に。

ウィリアム・ハズリットは、

「真に優れた人間は、自分でそうは思わないもの」

と言っています。




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